建物のライフラインを繋げ続けて
2025年10月、戸島工業は創業100周年を迎えました。
長年支えて下さった全ての皆様に感謝を込めて。

代表取締役 荒川 晶一
INTERVIEW
継承される自由が描く、
次の100

設備をめぐる仕事は、目に見えぬところで暮らしの質を支える。岐阜を拠点に、空調・衛生・給排水・防災といった生活基盤を整えてきた戸島工業は、創業から一世紀、技術と経験を積み重ねてきた。本インタビューでは、100周年を迎えた社長が語る「仕事を楽しむ」の定義を手がかりに、社員や社会への責任、そして次の100年に向けた展望に迫る。

代表取締役 荒川 晶一 2
100周年という大きな節目を迎えられました。
率直なお気持ちはいかがですか。
正直なところ「心からほっとしている」という一言に尽きますね。創業から受け継がれてきた歩みを自分の代で絶やしてはならない、という思いが強くありましたので。
大きなプレッシャーがあったのですね。
就任当初からその覚悟を持たれていたのでしょうか。
そうですね。ただ、私はもともと技術畑の人間で、経営や経理は未知の領域でした。しかも学生時代を過ごしたのはこの土地ではなかったので、人脈も伝手もない。人付き合いも得意ではないので、あえて言えば「できないこと」を任されたような感覚でした。就任時は不安の方が大きく、経理に関しては勉強のために1年間学校に通ったほどです。興味のないことはなかなか頭に入らないものですね。
(と苦笑交じりに話してくださいました。)
そうした状況で社長に就任されて、不安が大きかったわけですね。
では、就任前に経験された各部署での仕事はどのように役立ちましたか?
各部署で楽しさや大変さを体感できたのは大きかったですね。課題を自分の目で確かめられましたし、もしその経験がなければ、現場を訪れてもスタッフの努力を「当然」と受け止めてしまっていたかもしれません。今は一つひとつの仕事に、より深い敬意を抱いています。
現場のリアルを知ることで、社員への見方も変わったのですね。そんな社長が特に大切にしていることは何でしょうか。
社員が「仕事を楽しむ」ことですね。技術者にとって、作り上げたものが完成したときの喜びは格別です。その喜びを味わってもらいたいと思っています。
社長ご自身も、その「楽しさ」を実感された経験があるのでしょうか。
ええ。私は特に病院の設備を手がけることが多かったのですが、それがとても面白かったんです。先生方との打ち合わせをして、要望や考えをヒアリングしながら、それを反映した設備を考える。病院は普通の建物とは違って特殊ですから、まさに腕の見せどころでした。
病院ならではの難しさも多そうですね。
オペ室ひとつとっても、一般のオペ室と感染症用のオペ室とでは仕様が全く違います。特にオペ室は命をダイレクトに扱う場所で、その環境を支える設備を担っているということは、命を預かっているのと同じ。絶対に事故があってはならない。その緊張感の中で試行錯誤を重ね、やり切ったときの達成感は本当に大きかったですね。そうした経験が、仕事の楽しさややりがいを実感させてくれました。
ご自身の経験から「楽しみながら働くこと」がどれほど大切かを実感されたのですね。
遊びも含め、人生を楽しみながら働くのが理想だと思っています。
楽しみながら働く、いいですね。
戸島工業さんには「自由な社風」があると伺いました。
社員にはのびのびと力を発揮してほしいので、必要な道具や資源は惜しみませんし、言動もある程度自由に任せています。時には「おやっ?」と思う発言もありますが、そんなやり取りも楽しんでいます。
自由さは会社の文化にどう影響していると思われますか?
昔は寮があって、仕事終わりに飲んでそのまま泊まってコミュニケーションを取ることもありました。今は時代も変わりましたが、それぞれが仕事の中で楽しみを見つけ、自由に取り組む文化は根幹として受け継がれていますね。
一方で、地域や業界との関わりも大切にされているとか。
そうです。自社の利益だけでなく、業界全体の健全な発展を意識しています。築いた信頼関係は一時的な利益に左右されず続いていく。その基盤の上に協力し合うことこそが、地域全体の繁栄につながると考えています。
私利私欲ではなく、ともに発展していく姿勢なのですね。
はい。災害時など最終的に地域を支えるのは地元企業同士の協力ですから。
行政や社会問題への取り組みについてはどうでしょうか。
法律や規制は必要ですが、その影響が個人や中小企業に過度に及ぶことがあります。制定だけでなく、その後の影響まで鑑みて対策を講じることが大切。行政に現状を伝え、改善を求めるのも中小企業の責務だと思います。
では最後に、次の100年に向けての展望をお聞かせください。
建物自体は長く使えますが、内部の設備は更新が欠かせません。今後は新築より既存施設の維持や改修が重要になっていくでしょう。その流れの中で、必要とされ続ける企業でありたいと考えています。
設備更新や維持が、これからの社会でますます大切になるわけですね。
ええ。そして「助け合う心」も忘れてはいけません。私は困ったとき、いつも誰かの助けに救われてきました。幼いころは毎日のように家に知らない人がよくいたものです。それというのも、初代社長である祖父は困っている人を見れば「食べさせてやれ」と誰でも家に招く人でした。そういう姿をみて育ったせいか、助け合える関係が自然だと感じます。戸島工業もそういう存在でありたいんです。

「社員にはまず健康でいてほしい。健康であれば、何があっても道は開ける」
――社長がそう語られたのがとても印象的でした。
100年の歩みを支えてきたその精神は、これからの時代を切り開く力にもなるはずです。

楽しむ心と助け合う心を胸に、戸島工業は次の100年に向けて、さらなる挑戦と成長を重ねていくことでしょう。

インタビュアー:WEB制作会社

HISTORY
戸島工業100年の歩み
1925

戸島工業所 創業

空調設備・給排水衛生設備工事に従事


1925年 昭和恐慌前夜

1936

戸島衛生工業所へ改称

1936年 二・二六事件

1948

戸島水道衛生工事株式会社 設立
戸島 為一 代表取締役就任

1950

長井 薫之助 代表取締役就任

1950年 朝鮮戦争勃発(特需景気)

1951

戸島工業株式会社へ商号変更

管工事全般に業容を拡大

1952

名古屋支店 開設(名古屋市中区)

1964

長井 薫之助 代表取締役会長就任
戸島 一博 代表取締役就任

1964年 東京オリンピック開催

1968

名古屋支店 移転(名古屋市中村区)

1968年 3億円事件

1980年代後半 バブル経済

2002

ISO9001取得(JQA-QM8401)

2002年 日韓ワールドカップ開催

2005

荒川 晶一 代表取締役就任

2008年 リーマン・ブラザーズ破綻

2010

名古屋支店と一宮出張所を統合、
東海支店 開設(愛知県一宮市)

2011年 東日本大震災

2019

東海支店 移転

2020年 新型コロナウイルス蔓延

100th

そして創業100周年。
これからも繋がる未来に向かって進んで参ります。